唐澤博物館の沿革

唐澤コレクションは長く世間の注目を浴びてきました。ここでは、新聞や雑誌に掲載された記事をもとに博物館開館までの流れをたどります。

昭和36年「教科書に”おぼれた“教授」週刊読売

近代日本教育史三部作(『教師の歴史』『学生の歴史』『教科書の歴史』)、世界の教科書三部作(『世界の道徳教育』『教科書と国際理解』『世界の理想的人間像』)を発表し教科書博士といわれた時代の取材です。数万冊の書籍で家が傾く、クズ屋から買い求めた墨塗り教科書にダニがわき、子どもがかゆがり大騒ぎ、トラック一台で300キロの教科書を買い付け、世界の教科書を求めて大使館巡り、過労で入院、俸給の半分が本代で生活苦など収集の苦労話と、教科書はその国を表す小宇宙と考え教科書研究に熱中する熱き思いが伝わる記事です。

昭和40年「自宅に”教育博物館“」朝日新聞

自宅の一室に「MUSEUM OF EDUCATION」の看板を掲げ、資料室にしたころの取材です。この部屋に限らず「どの部屋も資料のためにあるようで、人はその中に間借りしている状態」と記者が記しているように、家中が教育史資料であふれていました。教科書に限らず、学校の鬼瓦、御真影の非常時運搬用唐櫃、体操用亜鈴、七玉大そろばん、良寛の書、ラッパ付き蓄音機、寺子屋の机などなど、時代を反映するオリジナルの資料から研究をしようと集めた結果、当人も「古道具屋みたい」と語るような状態に。一般の人が見学できる教育博物館を作ることの意義と、いずれ夢殿形式の博物館を庭に建てる夢を語っています。

昭和45年「私の教育博物館」読売新聞

自宅の庭に鉄骨3階建ての収蔵庫「教育博物館」を建てたときの署名記事です。この建物が現在の躯体となっています。昭和37年の欧米教育視察旅行で、世界に教育博物館がないことを知り発奮、自ら作ろうと全国を最大スピードで探し回ったといいます。日本人の形成史を生活教育史という立場からその実態を見ていこう、思想からモノを見るのではなく、モノから思想を見るという方法論を打ち出しました。人間形成は環境を離れて考えられない、今後の日本人を考えるうえでどのような環境が望ましいのか、その根本問題を考える一つの有力な手掛かりにこれらのモノがなると述べています。





平成5年「教材でたどる日本の教育史」朝日新聞

一般の方にご覧いただける現在の「唐澤博物館」がオープンした時の取材です。江戸時代から文明開化、軍国主義の時代を経て現代まで、教材から日本の教育史をたどることができる、と記されています。他に、読売新聞、毎日新聞、日本経済新聞などの取材を受け、82歳の唐澤が「高齢だし、自分の研究してきたことを広く理解してもらいたかった」と語っています。実物は教育の実態を端的にとらえている、そのことをより多くの人に実感していただけるように開館した博物館です。